

ネパールは壮大な山々に囲まれた美しい国です。その国を訪れると、人々はあなたを温かい笑顔と優しさであなたと接してくれます。
ネパールからインドへは、毎年1.5万人の女性、女子児童たちが人身売買されています。ブローカーによって誘拐されたケースもあれば、親に売られることも。何年も苦しい時間を売春宿で過ごし、ようやく帰国をしても、売春宿で働いたという事実や、HIVに関する偏見によって、多くの女性たちは地元はおろか、両親からも受け入れを拒絶されます。
Lung-ta Projectは、その売上をHIV陽性者や、人身売買の被害者の女性たちに提供するシェルター運営費や必要な支援に使用しています。
チ ャリマヤさん(ネパール)
シャクティ・サムハ(Shakti Samuha)設立者のチャリマヤさんは、16歳のときにネパールからムンバイ(インド)の売春宿へ人身売買され、約2年間をそこで過ごしました。到着して3日間は、監禁され、売春宿のオーナー等に暴力を受け続け、抵抗しないよう、逃げ出さないように恐怖感を植え付けられました。初めて取った客は、結婚したばかりの新婦を連れた4人の男たちでした。性暴力だけでなく、男たちはチャリマヤさんの身体に嚙みついたり、殴ったり、あらゆる暴力を加え、チャリマヤさんは気絶し、次に目が覚めたときには血だらけでした。
救出されたあとのチャリマヤさんは、ブローカーたちを法的に訴えた、唯一の被害女性でした。
当時のネパールでは現在よりもなお一層、性暴力被害者や売春宿で働いた女性、HIV陽性者への偏見が著しく、たとえ被害に遭っても、声を上げる女性たちはいませんでした。チャリマヤさんはブローカーたちを正式に起訴し、裁判の中でも、そのブローカーたちから家族を殺害するといった脅迫や、実際に親戚が暴行を受けたり、あらゆることと闘いました。「なぜ強くいられたのですか、トラウマが呼び起されなかったのですか」と尋ねると、チャリマヤさんは穏やかな笑顔で答えてくれました。「自分が声を上げなければいけないと思った。社会を変える必要があると思った。脅す人もいたけど応援してくれる人もいた。無我夢中だった。」ブローカーはその後有罪となり、以降チャリマヤさんは、約1027人の、自分と同じような被害に遭った女性たちに支援を提供してきました。
